【書評】色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

久しぶりに小説を読んだ。村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」である。今更感をぬぐえないが、まぁ色々縁があって読んでみることになった。

社会人の貴重な週末の土曜日の大半を費やして読んでみたのだが、村上春樹の小説にしては珍しく、話のほとんどを最後までには回収している内容ではあった。だが、やはりというかある程度は書くだけ書いて放り投げて終わってしまっている部分もあった。この小説を読んで、大学時代に初めて村上春樹の小説を読んだことを思い出した。いや、というよりは、読んで忘れていたことを再認識させられた。

 

大学時代に初めて読んだ村上春樹の小説は「海辺のカフカ」である。かなりの長編なのだが、最初のいくつかの話を読んでいくうちに内容が気になり、一気に引き込まれたのを覚えている。そこからご飯も食べずにほとんど睡眠もせずに必死になってページをめくった。何が起こるんだ、と。

 

結論から言うと何も発生しなかった。僕が気になったことはほとんど解決しないままに小説が終わってしまった。それまでに費やした時間と労力を考え、茫然としたことを覚えている。はっきり言って内容はほとんど覚えていない。村上春樹のファンからすれば、僕には彼の伝えたいメッセージを読み取る能力に欠けていると言いたいかもしれないが、正直言ってそれでも良い。僕には彼が伝えないことをくみ取る能力は備わっていなかった。わからないのが何となくいや嫌で、それ以外にも「ノルウェイの森」「ねじまき鳥クロニクル」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」などなど、たくさんの種類を読んでみた。そして、村上春樹を「何が言いたいのかよくわからない著者」という分類に入れ込んでしまった。

 

時は経ち、今回の小説を読むに至った。ここまで時が流れているので、前回とは違った印象を受けるかもしれない。そういう期待を込めて読んでみた。結論からいうと、前回以上の放り投げ感は感じなかったものの、やはり僕としては「一つの物語として、伝えてほしいことが全て伝えられていない」という気持ちにしかならなかった。やはり、彼が何を伝えたいのかがまるで伝わってこないのだ。

 

また、彼の著作の中に出てくるキャラクター全般にも言えることだが、何となく以下のような特徴を持ち合わせている。それが僕には非常に気に食わない。それは、

  • 僕(私)は人生を達観している
  • 僕(私)は頭が良いのだが、あえて君のレベルに合わせてあげている
  • 僕(私)にしかわからない世界観がある。わかってもらわなくて結構
  • 僕(私)は人生の意味を知っている

他にもあるが、ざっというとこんな感じ。なんとなく「自分だけが特別。一般人にはわからないと思うけど。」という感じがするのだ。違ったら申し訳ないけれど。

 

基本的に書評には良いことしか書かないようにはしているつもりだけど、今回はこんな結果になってしまった。ただ、時間があるときに読んでみる価値はあると思う。彼の作品には、引き込まれる何かがあるのは確かだし、僕のような欠陥人間にはわからないすばらしいことが皆様であればわかるのかもしれない。

ではでは。

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